社長から先代に変わりました
- 2021/01/19
- 19:23

お気づきのお客様もいらっしゃるかもしれませんが、湯村ホテルのマスコットキャラクターでありました、「社長の山本」は、2021年1月15日をもちまして「先代の山本」となりました。
※一部他の印刷物では「社長の山本」のままでございます。
年末に突然見つかった胃癌の切除手術を無事終え、明日からはリハビリを始めようかというところで、一度誤嚥性肺炎を煩いました時には、主治医から家族に覚悟するように申し伝えられました。
しかし、これまでも幾つもの病気(心筋梗塞、脳梗塞、骨折、虫歯、白内障、糖尿、物忘れ、水虫、薄毛等)から生還してきた、人並み外れた生命力で、今回も奇跡的に復活し、酸素チューブが外れた時には、「さすがに今回は、俺もマジでヤヴァかった!」と言っておりました。
その後、日に3回のリハビリを精力的に行いながら、年賀状を穴の空くほど読み返したり、毎日ナースステーションで優しいナースの皆さんに囲まれて、鼻の下を伸ばして幸せそうにしておりましたが、コロナ禍のため直接面会出来ない母は、その姿を遠めに見ながら歯軋りしておりました。
主治医も驚く程順調に回復しておりましたので、1月末には湯村ホテルのお隣の湯村温泉病院様に転院する予定でしたが、突然その日は訪れまして、1月15日の深夜2時37分に永眠致しました。
享年満86歳。苦しむことのない最後でございました。
日頃から我侭で運の強い父でしたが、生前「自分があの世に行く日は、毎年思い出してくれるように〇〇(娘)の誕生日(1月15日)がいい!」という無理難題も、なんなく通してしまいました。
火葬場で棺が炉に入るときには流石に、悲しみのあまり腰が抜けそうになっておりました母ですが、今では父の遺影が往年の銀幕スターのようだから、ロビーに飾り遺影の下に賽銭箱を設置して、自分の小遣いにすると言い出す程元気になってきたので、現在、残された他の良識的な遺族が必死で止めております。
もし、いう事を聞かずにロビーに遺影と賽銭箱が設置された際には、どうぞ遠慮なくお賽銭を100円玉でなく、ぜひ500円玉で投げ入れて下さいますようお願い致します。
通夜・葬儀は、厳格な雰囲気の出棺の儀式の中、霊柩車のクラクションと同時に、放たれたハトの糞が喪主の私に命中したり、通夜の席の第一声で司会者に故人の名前を読み間違えられたりした以外は、滞りなく終了致しました。
両日で千人近い弔問客の皆様に、合計3時間近く、20cm位の至近距離で挨拶をさせて頂いた私が、もしコロナに感染していなければ、互いにマスクを着用し、大きな声で話さないことが、いかに感染防止になるか証明出来ることと思います。
連日お越しいただいた、弔問客の皆様を拝見致しますと、故人が私以外には非常に優しく接していた事が判り、長男と致しましても感激致しております。
唯一悔やまれますのは、湯村ホテルを本当に愛していた父に、コロナ禍を乗り越え、再び多くのお客様が楽しむ笑顔を見せられなかったことでございます。
社長に天国から笑われないように、精進して参りますので、これまで以上にご愛顧頂けましたら、これに代わる喜びはございません。
社長亡きあともどうぞ湯村ホテルを宜しくお願い致します。
最後に、父を診て下さっていた主治医の先生、看護士の皆様、理学療法士など、医療従事者の皆様には本当に感謝致しております。
ありがとうございました。